百縁笑店街と東北支援の取り組み~第五回百縁笑店街を終えて~ 6月19日の百縁笑店街は、本来の動きとは少し趣を変えて、3月より笠岡希望プロジェクトに取り組む商店街活動と百縁笑店街の今後を考える重要なイベントとなりました。 実は今回百縁笑店街は複数の異なる目的を持っていました。 一つ目は本来の百縁笑店街の目的です。これは、100円商品を販売することで、お客様との絆を結びなおし商店街と商店主の活気を取り戻してゆこうという活動の部分です。 二つ目は、笠岡希望プロジェクトの一員として、商店街が東日本南三陸町の復興支援を末永く提供していこうという活動の部分です。 この二つの目的をスムーズに融和させる方法があるのか?が大きな課題でした。 「流通を通した支援」が出来るのでは?
このアイデアは私たちの物ではありません。実はぼうさい朝市ネットワークに協力しておられるメンバーが実践されたことなのです。南三陸のお隣の被害の少ないところ(登米市)で物資を購入して帰り、自分たちの地域で販売され、その売上をもって支援金を作る。このイベントを実施され成果を出されました。 私たちもこのアイデアを勉強させていただき、自分たちなりの解釈をしました。 東北のものを買って帰り笠岡の商店街で販売する。そして収益を支援金として利用させていただく。こうすることによって、商店街を訪れるお客様には美味しい名物を食べていただきながら支援にご協力いただけるのではないか。直接お金を支援金としてお願いするよりも、楽しんでいただきながら、東北のものを実際に手にとって買ってもらって、思いを馳せながら支援をしていただければこの活動が続けられるのではないか?と。 このアイデアが、商店街の活性化と支援活動の二つの目的をスムーズに結びつけるのではないかと思えました。5月29日の福興市に出発した支援隊から、「登米で商品を購入したいので名産品を調べてほしい」との連絡が私の携帯に入りました。 福興市支援隊は被害の少なかった登米市の物産なら手に入るということで検討していましたが、復興市当日に予想しなかった事実に遭遇します。それは考えてみればごく当たり前のことでした。「震災を受けた南三陸町にも被災を免れたお店がある。」という事実です。 バナナ焼きを作っておられた高貞商店さんもそうした1軒です。工場は被害にあわなかったけれど、お菓子を卸していた販売店が災害で無くなってしまいました。売り先が無くなったのです。途方にくれていたけれども周囲の皆さんに後押しされ、南三陸町の銘菓「バナナ焼き」の製造を再開しておられました。 その「バナナ焼き」に偶然支援隊のメンバーが出会いました。思いの詰まったお菓子を何とか応援したい。笠岡に紹介したい。支援隊のメンバーは笠岡に帰ってすぐに電話をします。 「南三陸で頑張っておられる方の商品をたとえ少しでも販売させていただきたい。それも重要な支援なんじゃないか?」 こうして百縁笑店街を使って被災地の商品をすこしでも販売出来ないか?という新たな目的が加わることになりました。ちょっと大げさですけれども。 いざ、販売を決めるとそれこそ、多くの方に興味を持っていただき、注文した100袋(400本)はお昼を待たずして完売になりました。 「思いの詰まったバナナ焼きが笠岡商店街の名物になる」 百縁笑店街において、南三陸町の支援活動としてバナナ焼きを販売。東日本支援として、登米市の物産も販売。さらにこうした連携の動きを広げるために全国4地区の百円商店街の先進地区から百円商品を送ってもらって、全国百円商品展みたいな事もイベントに追加して実施してみました。
結果、このような連携活動や支援活動を通して重要なことを学びました。それは、こうした活動が商店街に独自の商品を生み出す可能性を与えるのではないかということ。 今回販売した商品たちは特別な商品でした。仮に同じようなものがスーパーや量販店に並ぶことがあるかもしれません。それでも現地の作り手の思いのこもった商品、物語のある商品は笠岡の百縁笑店街でしか購入できませんでした。 心を動かされた商品への思いがその商品を独自の商品としてゆく。 よく商店街は大手の持っていない独自の商品を開発しなければならないと言う話を聞きますが、そういった商品は、すぐに開発できるわけではありません。ところが人々の思いと物語のつまったこんな商品は助け合いの中で自然に見つかってきました。これこそが紛れもなくどこにも売っていない笠岡の名物になれるんじゃないでしょうか。そんな思いが心に残った百縁笑店街でした。 ~つづく~ 文責 福井 |